一陽来福。Soil,Soul,Societyな日々。

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カテゴリ:心の旅( 11 )

愛のある沈黙。

だれでも愚かなときはある^^

そんな時、まわりはいろんなカタチで知らせてくれました。

辛辣さ・優しさ・沈黙。
なんにしても、愛がないことには心に響き残りはしないようだ。

愛があろうが無かろうが、時にはどちらにしてもズタボロに傷付いたような気になってた事もあったようにも思うけど、不思議と愛の無いものは忘れてしまった。
あれほど腹が立ったり泣いたりしたものもあったようだけど、なんだったか忘れてしまった。

なにより私には、愛のある沈黙がことさら堪えた。
ただ沈黙の中ほほえんで愛を捧げてくださった方のことを、なんだか思い出してこの数日を過した。


まだ高校生の若い頃。学校の先生に紹介されて、とある禅僧の方を訊ねていった。

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夏休み。山の本山の塔頭に、老齢なその方はご婦人と共に静かに暮らしておられました。
入院をしていたけれど、元気になり退院をされてわざわざお時間を作ってくださったのでした。
私はまだ子供で、超常的な能力があると聞いていたその方に、不思議な話を聞いたり、悩みを相談したりしてみたかったのですが、
お返事は^^
「私も昔、若い時分はそんな事をやっていたこともありますが、悩みはその人の為にあるものなのに、可笑しなことをしていたものです」
と笑っておられました。

遠くまで訪ねてきたのに何にも質問がなくなってしまい。いきがって、これならどうだ!とよく考えもせずに「死」についての質問などしてしまった。バカな奴です。

その方はただ静かにほほえんでだまっていました。

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そののち一ヶ月も経たないうち。
その方が亡くなったという知らせを受けました。
あのほほえみを思い出すと、つきささるようでした。取り返しのつかない恥ずかしさと後悔で、転げまわりたくなるような、のど元を掻き毟りたくなるような思いにかられ、無知で残酷な己の愚かさを知ったときでした。



でもいま、何十年も経って残ったものは、その方から受けた深い静かな愛でした。
その方の愛はまるで山のようで、底にゆくほど裾野のように広がって、深く強くそのカタチを観ずることができます。根底に流れるのは海のような、繋がっているものだろうか?

そしてあの後いただいた手紙を、そっと読み返す。
その方のま綿のようなあたたかいものが、ふっと胸にふれると、ただハタハタと涙がこぼれて仕方がなかった。
ありがたいという思いしか浮かばなかった。



私もこんな不動の愛を身につけたい^^
人の中に何をみようとも、静かにほほえんで愛を貫きたいもんです。というお話でした。

ここに亡き恩人禅師に、感謝を捧ぐ。

またこの思いに至るお題を与えてくださったKさまにも感謝を。。


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by art_of_living_i | 2009-03-31 22:54 | 心の旅

身近な人に学ぶ心

色白で、ぽっちゃりふわふわ^^
いつもにこにこ。
ときどき見かけると、何か人のためのことをこっそりとやっている。ご近所のお年寄りさん。
でも可愛くてとても若くみえるのです^^
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私は今の場所に住み始めて、ちょうど4年くらいでしょうか?ご近所付き合いや、もちろん同じマンションの方とも仲良く?するほうなので、ある時お茶に呼ばれ、その方の人生のお話をお聞きする機会をいただきました。

その時まで、ふんわりほわほわしたその方に、そんな人生があったなんて想像もしていませんでした。
ご自身のガンをやっとのことで、乗り越えたとき、ご主人が倒れられました。
一命はとり止めたものの、余命3日と宣告されたそうです。
でも大好きなご主人。ここで死なせては女がすたる!と、暫く病院で必死に看病し、食事もみな作ってなんとかもち直し、その後も治療費の為に、外で働いたこともないその方が商売を起こし、昼も夜もなく働いて、病院の食事を一切取らないご主人のために、食事をつくり病院へ通う毎日。睡眠は2時間ほどだったということです。
でも、その甲斐あってか余命数日といわれた命が、11年もの命になったのでした。
お話をきくと、病院ではとても楽しい様子でした。病院に暮らしていても、いつも朗らかで、茶目っ気たっぷりのご主人だったそうです^^愛していたんですって^^
どんな状況にも、朗らかに受けとめて生きてゆくその姿に、私は尊敬でいっぱいになりました。

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敬虔な在来仏教の方なので、今では一人、黙々ご家族とご先祖のお供養をしておられます。
その方は供養に感謝を捧げていると、いいました。
一人で黙々と供養するうちに、自然にそうなったといいます。
実はこの方に感謝のお茶のお供養を教えていただいたのでした。
そして、もしできる環境になくっても、湯気のたったお茶を自分がいただくとき、お先にどうぞと真心を差し上げたらいいよ。お茶でなくても、ご飯でも、始めはできることからでなんでも、ささいでも感謝の真心をさしあげることからはじめれば^^と微笑むのです。
素敵な方です。

実はほん身近にも素敵な人が、たくさんいてくださる。というお話でした。



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by art_of_living_i | 2009-03-25 01:30 | 心の旅

大自然と神祭り。

こどものころ。
山で育った私は、野に山に自然の中をかけまわっていた。
大きな山があるせいか、人々は無信心だとかいいながら、お山と呼び、ありがたがっている土地だった。
死んだら魂はお山にいくのかな?と幼い私もおもっていた。

陽に透ける黄金色の稲の穂が山の裾野に広がる。
ぽかん。と流れて行く雲の大きな影を追いかけて野原を駆けたこと。
山からの強い風に、だんだん畑のまだ青い麦たちがうねるように揺れると、まるで風の姿を観たように思ったこと。
大きくくっきり半月の弧を描いた虹の端っこを追って、皆で畑を渡って探検などしたこと。
今も胸にまざまざと呼び起こすことができる。
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神さまは山であり川であり空であり、大自然そのもので、
自身の小さな胸の中にも、大宇宙が広がっていて神さまとつながっていると信じていた。
そして各々の自身の中に、神さまは住んでいるのだと。。。

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我が家は無宗教だと母は言っていたけれど、朝早く起きて、神棚のお水とお仏壇のお茶と、夕方にお稲荷さんのお世話をするのが、小さな私の日課だった。
お稲荷さんというと、あからさまに蔑む人もいるけど、田舎では稲の神さまであり自然の一部であるので、正直意味がわからない。
そして毎晩眠る前に、今日一日のありがとうございます。と、ごめんなさい。をお祈りするのが、我が家の普通だった。

神さまというと、お願いをするのが一般的なのかもしれないけれど、もの心ついた時には、神社はお願いをするところではないと躾けられていたし、子供を脅しつける為でもあるのだろうけれど、地域のお祭りは子供には楽しみでもあったが、毎年のように祭りの最中に大雨がきて人が亡くなることもよくあって、怒らせると怖い、畏怖の存在でもあった。だから個人のお願いなんて、怖くてした記憶があまりない。
こどもなりに一生懸命考えて、いつもありがとうございます。とか神恩感謝か神願成就のたぐいになった。

こんな背景があって、
日々、神さま(自然)の恩恵に感謝を捧げる習慣がいまにも繋がっています。


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by art_of_living_i | 2009-03-20 19:03 | 心の旅

心あるお手伝いをする。

ボランティア。
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というと、とてもたいそうで、私にはまだとても至れぬ道です。
なのでほんとささいな、できる範囲のお手伝いを心がけるようにしています。

家族とは遠くに離れていますし、必然的に知らない人のお手伝いもするのですが、これがなかなか恥ずかしさとの戦いですかね~^^
ちっぽけな、本来あたりまえの働きをわざわざ紹介するのも、さらに恥ずかしいですね。
でもこれが、人との共生を取り戻す、第一歩と思っているので~

例えば、重そうな荷物を運ぶとか、ドアを開けるとか、出しにくい自転車出してあげるとか、電気の球取り替えるとか、アパートのフロア全体を掃除するとか、ご近所さんに水を運ぶとか、かたたたきに訪問するとか、そんな事です^^;
これを相手の身になってお手伝いさせて頂く、”お手伝いさせて頂いてありがとー”と終わる。

ただこんなささいなことでも、感謝をキーワードに働くと、ものごとが続きやすく、心がしっかり根付くようになってっくるように最近感じるのですよ。
不思議なのです。

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by art_of_living_i | 2009-03-09 01:26 | 心の旅

川のお掃除から先祖供養へ。

川のお掃除から先祖供養。???^^
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不思議な話で、何の繋がりか?と思われる事でしょう~
川掃除の体験は、自然に生かされていることへの感謝が湧き起こった体験だったのですが、
今生かされている事へのありがたさは、同時に命を繋げてくれたものへの感謝にもなりました。
そこには、家族。祖父、曽祖父、曾祖母たちへとさらに繋がってゆきます。
そんな時に、たまたま小笠原へ旅したらどう?と友人からすすめられました。
実は祖父は小笠原で生まれ育ち、島への思いを残したまま、心重く辛く本土で亡くなっています。
遺品を灰にして、島へ渡り一緒に故郷を旅しようと思い,先祖供養の旅にでかけました。
島の方にはとても良くして頂き、中には祖父をかすかに覚えていてくださった方にも出会えました。
何となく、小さな丘のような森を背負っていて、眼前には農地と海が広がる所が良いと思い、あと蓬莱の海辺へ灰を撒き、私なりの供養としました。
その時もただただ、命を繋げてくれたことに『ありがとうね』という思い、今ここに生きているのは祖父のお蔭と、ただ感謝の思いでいっぱいになりました。
そして初めて、感謝を捧げることが供養になるのでは?と手ごたえのようなものを感じたのでした。

そんな頃、ご近所のお年寄りの方とのお茶のみ話から、感謝のお茶のお供養を教わりました。
そのあたたかい何かと、感謝を捧げる作法が、とても気に入ってはじめてみました。最初は期限をきるのが良いよ。と教えて頂いていたのですが、そうこうしているうちに家族が亡くなり、お茶のお供養も一年半ほどになります。もう永久に続けるのではないかな?^^
その後、感謝を捧げる3本の線香のお供養というものに出合いました。
お茶のお供養では、漠然と、足りない。と感じていた頃であり、この三本目に深く感銘を受けたのでした。
まず2本の家系の祖のお供養に加えて、ご縁ある諸霊の方々へのお供養となります。
お供養は作法として捧げるのであれば、きちんと調べてから作法にのっとることをお勧めします。

ただ感謝を捧げる分には、いつでもどこでも、何でもどうぞ^^自由だと思います。

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by art_of_living_i | 2009-03-05 21:10 | 心の旅

川のお掃除から。。芽生えたもの。


今でも川のお掃除は忘れられない体験となっています。
”自覚と感謝”が湧き起こった体験です。

私達は川や森や太陽・自然にどれほど生かされているのか。
どれほど深い愛を頂いているのか。
そして一緒に住まう他の生きものたちと、どれほど共生を離れてしまったのか?
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私にできる事は少ないです。
でもささやかですが川で目のあたりにした現実に、現実への行動に映すことで報いたいと思いました。感謝を込めて。。
まず劇物となるような洗剤類(台所洗剤・洗濯洗剤・シャンプー類)、川で実際に目にしたゴミ類(レジ袋・菓子袋・缶類)の使用を極力無くしました。
生理用のナプキンも洗えるコットン製のものに代えました。
ま。これをした方が良いとやっきになって思っている訳でもありません。
ただ自然にこうなって、しかも体にとても楽なものであるので定着したのです。
またこれを人に無理に求めるつもりもありません。
自らの体験の中で、湧き起こる各々の気付きに従って頂けたならと思うのでした。

昨年は川のお掃除が、まるで出来ませんでした。
それというのも去年は外階段から落っこちて、足をボッキリやってしまって^^
そして暮れに、ふと発心して、煙草の吸殻を中心としたゴミ拾いをはじめてみました。
実は地表でのゴミ率№1は煙草の吸殻なんですね^^
これも意外に実践してみて初めて知ったことでした。何でもやってみるもんですね~
育んでくれる大地に地球に、感謝を落としながら、ゴミ拾いをしています。

今、生かされている事へ感謝を捧げて。。

そして一つ行動を起こすと、水に広がる波紋のように何かが広がってゆくような感じがします。
それが何かはまだわからないけど。。

しょぼいとこでは、お外など掃除して自身の部屋が汚い私ですが、外掃除から帰ってくるとうんざりして、少しは掃除をするという訳なんです。
相乗効果?なのでまずお部屋が先!っと拘らずどっちが先でも出来る方からがお勧めです^^
あっ。でも大儀に振り回されてしまわないのも大切です。
いつも足元もみているようにと、私も肝に銘じています^^
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by art_of_living_i | 2009-02-14 22:26 | 心の旅

アララトの聖母。

今。
おいしいベジタリアン料理を作ってくれる。
英語を教えてくれる。
生きる智恵をお話してくれる。
いつもあたたかい何かをわけてくれる。
そんな方がいてくれます。


その人の描くドローイングにはアルメニア語の詩がそえられていて、ちょっと不思議で異国の絵にすっかり心を奪われてしまいました。

私が知っているアルメニアは、ノアの箱舟のアララト山くらいです。
なのでほんの興味で、この『アララトの聖母』の映画をみてみました。

つらい民族の歴史です。そこには民族のもつ魂のようなものを感じました。
戦争、民族意識、自己の迷い、信念。いろんなものを考えさせられる映画でした。

でも、もう地球人としての(もちろん宇宙人でも)意識をもっていきたいな~と革めて想うのでした。
それはもちろん、無かったことにするとか、目をつむるとか、見なかったことにするではなく、いいこともわるいことも静かに受けとめて、すべて包括する強さを身につけたいものです。何億年かかるかな?
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by art_of_living_i | 2008-04-04 16:05 | 心の旅

自然には真理が落ちている

自然をみつめたら、いつだっていろんな真理が落ちていて、たくさんのことに気づかされて帰ってきます。

いつだったか、友人と山へ出かけたとき、道を血相をかえて引き返してくるご夫婦に出会いました。
どうされました?と尋ねると、そこで熊に出会ったので、今日はもう帰るのだ。ということでした。
その年は山のたべものが不作で、山の動物達も難儀なことだろうと話題になった年でした。
私たちは、とりあえず隣の山へ。このままお腹を空かしてクマ達は眠れるのだろうかと、友人と心配しながら山に入りました。

途中、山の高いところから大きな動物の気配を感じ、背中の毛まで逆立つほどの緊張感を受けました。どうやら向こうには見つかってしまったようで、嫌なものに向ける緊迫感を受けました。その方向は、陽のあたった暖かそうな尾根道があるようで、私がクマならあんな道を通るだろうな。
姿は見えないけれどクマだという変な確信があって、クマがお腹を空かせていることも、私達が嫌われてしまうのも、人間が悪いのですが、やはり怖いので犬の鳴きマネをしたり、理趣経(人が怖がるといけないので、ひろしゃだふ~、ぜんざ~いといった食べ物のような節をうたいました。ていうか、そこしか覚えてなかった^^;)をよみ、アピールするように山道を行きました。
なるほど、人里のほうまで木々にクマの爪跡はつづいていて、柿の枝をへし折った後もありました。

地球上の命はみんな仲間のはずなのに、人間ばかり貪って、地球も仲間達も追い詰めてしまいました。他者を追い詰めることは、自分達を追い詰めることで、これから育っていく命にも重大なことなのに。。。
私もこれから、少しづつでも責任を取っていこうと思っています。

自然の姿は美しく、こんな愚かな人間にも、いつでも恵みをあたえてくれます。私も自然の真似をして、私のもってる力はすべてでも差し出したいです(ささやかですが)。



そうでした。クマはむやみに人を襲ったりしません。
私は田舎者なので、クマが露天風呂に入りに来てた(なので9時以降の人間の入浴は避けよう)とか、ビールを飲みに来てた(上手に抱えてフタを取るそうです)とか耳にしていました。
もちろん襲われた話も聞きましたが、偶然出くわしてしまってということです。クマの方は、かなり気を付けてくれてるものと思われるので、うっかり出くわしてしまった時や、間合いを取れないほど切羽詰まった時なのでしょう。そんな時のパニックな様子を、思えば思うほど申し訳なく思いました。

友人と山の道々話してました。クマに襲われたらどうする?
急所は鼻の上(眉間?)と、口の中と胸のあたりだそうです。
とりあえず、後ずさりして、話かけながらお菓子を投げたりしよう。
それでも間合いが取れず立ち上がってきたら、以前巴投げをして助かった男性と、眉間や、吠えた口の中にパンチして助かった話を聞いたことがありますが、私達にはとても無理そうなので、もう死角の懐に飛び込んでみようと言う事になりました。
でもホントにそんな状況に出くわしてしまったら、どうせ片手パンチで即死ですし。勇気を出して懐へ飛び込んでみようと思っています。
アホな会話です^^;

実はある素敵で、いつも良くしていただいている方から『クマともりとひと』という冊子をいただきました。クマが滅びることは、そのまま人間が滅びるということ。
子供達の活動に泣けました。「これクマだけの問題と違う。僕らの問題でもあるんや。」「大人って、ほんまはぼくら子供に愛情なんかないんと違うかな。自然も資源もみんな、自分たちの代で使い果たして、ぼくらに何も置いとこうとしてくれへんな」
大人は何をやっているのでしょう。恥ずかしくなりました。
都会に住まう友人によると、都会に住まう動物たちなど奇形の姿が目立つそうです。生き物が住めなくなる時が、もうそこまでやってきています。

日本熊森林協会http://homepage2.nifty.com/kumamori/
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by art_of_living_i | 2007-07-01 18:01 | 心の旅

平和活動家サティシュ・クマール氏の講演

少し前になりますが、素晴らしい講演でした。それに平行して『君あり、故に我あり』講談社芸術文庫の本をプレゼントしていただきまして、拝読させていただきました。
平行?近頃読み終えたのでした(^^ゞ
良いご本をほんとうに感謝しております。
私達は生かし生かされ、共生させて頂いていることを思い出させてくれたたように思います。

たくさんたくさん色んなメッセージを受けた気がします。
何やら頭も胸もいっぱいになって、今でも整理も付かないままです。

内容は深く多彩で、想うこともたくさんあります。でもここでは、ものつくり人の私がいちばん感銘を受けました、その視点からお伝えします。

クマール氏のお話しの中に、伝統の手仕事が貪るばかりの経済の在り方に、大きく働き掛けることが出来る、というものがありました。
貪るばかりではどの国の経済もいずれ滅びるばかりだけれど、手仕事の伝統により持続の可能性が、見いだせるというものでした。


今。古き良きものを大切に手直しして、截金の技術とコラボレーションさせていただき、新しいものを生み出したいと、ハッキリと思うようになっています。

本の中にはこんな言葉も見つけられることが出来ました。
『芸術的創造力の可能性はすべての人に。人は自らの魂の清らかさを照らし出すために自分自身に対して働きかけている。芸術を具現化することは、自己実現の外的表出である。献身、黙考、沈黙、祝福、魂の出現のためにある。』

この出会いで、ものをつくる一人の人間として私はとても力強く勇気付けられました。


ここに紹介したのは、クマールさんの思想の大きな大きな川の、ほんの一点でしかなくて、是非直接本など見ていただきたいな。
と、思っております。
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by art_of_living_i | 2007-07-01 15:09 | 心の旅

あんずの木と祖母の話し

何年か前。
なんだか、身も心もズタボロになったような気がして、少し田舎の山に戻っておりました。


近所の梨の木畑には、自然に生えてきたのだという。大きなあんずの木があったのですが、それがある時すっかり倒れてしまったのです。
畑のおじさんが、杏の木の傍らに立ち、しげしげと見つめていました。
思わず、『切り倒してしまったのですか?』と尋ねたところ、根元が傷んでしまって倒れたらしいと、寂しそうに返事がかえってきました。

以前に、祖母がお年寄り仲間とその杏の木を蹴飛ばして、実を落として食べたあげく、美味しくない!とのたまっていたのを思い出し、可笑しくなりました(^^ゞ

その後。倒れた枝には花がたくさん咲き、葉は青々としげり、夏も近くなると実も沢山に実りました。
そんな姿をずっとみつめ、つよく心を打たれたのでした。




時がたち、僅か数年のうち、杏の木を蹴飛ばすほどの元気さだった祖母も、もう私の顔もわからないだろうと思います。
身体もすっかり弱ってしまったとききました。


そののち、あの杏の木はどうしてるのだろう。
あの杏の木と祖母に、とても会いたくなりました。
会いにゆこうと決めました。


来世は花になりたや奥山の、人にふまれずひっそりと

祖母の日記にひっそり詠まれたうたです。
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by art_of_living_i | 2007-06-06 00:02 | 心の旅